人生詰みゲー

なんか知らんけどいつも詰んでる人のあれやそれです

暴走特急

おはこんばんちわ、まちだまさきです。

これが某有名アニメの主題歌からきた挨拶であることを数年前友人に教えてもらいようやく知りまして、順番通り組み合わせるのならおはこんにちばんわの方が良いのではないか、と謎の拘りを持っていたのをようやく捨てることができました。

 

今回はそんなわたしが如何にして人生という名のレールを走り抜け、そして脱線したのかを書いてみましょう。

 

 

以前にも書かせて頂きましたが、わたしの生家は少し昔の日本の習慣が強く根付いている家でした。父親が一番えらいよ的な。亭主関白的な。

ここで早速わたしは詰んでいるのです。

 

まず、前提として「家は長男が継ぐもの」という暗黙のルールが存在します。男系家族だったため今までは概ね問題なく世襲制的なものは回っていたようです。大した家柄でもないのですがね。

その長男、つまり私の父親が妻を娶りました。結婚=子供を作るという昔ながらの図式が当たり前のように適応され、そしてまず求められるのは「家を存続させるための長男」です。

周りから子はまだか跡継ぎはまだかとせっつかれながら数年間。「不妊でもないのに作ろうとしてそれだけできなかったというのはストレスのせいでは」と後に母親は語りましたが、「うるせえ口出しすんな」と言わなかったのもあなたです。知らんわい。

しかし産まれたのは女児でした。どうも、わたしです。

わたしは初孫としてそれなりに可愛がられたものの、望まれていたのは跡継ぎです。父方の血縁には手放しで歓迎はされませんでした。「まあ最悪こいつに婿でも取らせれば…」という考えもあったのでしょうが、つまりわたしは更に三年の後に生まれる弟を作るまでの、あくまで副産物。予備なのです。わたしがしんでもかわりはいるもの。

 

ところがこのメインディッシュ長男。なんと、そこまで重度ではないものの障害があったのです。

父親の仕事の都合で一時生家を離れていたこともあり、弟は無事公園デビューも果たし、健康にスクスク育ちました。体は。

問題は頭です。なんだかいつまでも子供っぽく、語る言葉は要領を得ず、幼い私にはよくわかっていなかったのですが両親は世間体を気にして具体的にどういう症状なのかを調べることもしませんでした。

そして、もう数年かけて次男を作ろうにも、時間もお金もなかったのです。そりゃそうだ、子供の養育費は決して安くありません。だから念のため産んでおいた長女に跡継ぎという概念をシフトさせたのです。

 

ここで「なんでやねん」とツッコミたいことが一つ。

弟が、年齢以上に幼さ、成長のなさが目立つようになったのは幼稚園に上がったころでした。そのころには父親の勤務場所が変わり、再び生家で暮らすこととなっていたのです。

そこで父も母も、小学校に上がったばかりのわたしに何度も言い含めるのです。

「おとうさんが通った小学校中学校に通い、おとうさんが通った高校大学を目指すんだよ」と。なぜでしょう。婿を取るならそこは花嫁修業でもさせたほうが良いのではないでしょうか。

答えは簡単、あくまで家を継ぐのは「長男」なのです。だってあの子は「少し幼いだけで普通の子」なんだから。

その幼さをカバーすべく、姉のわたしを限りなく父親に近いスペック、つまり実質的な跡継ぎにしようとしたのでしょう。嫁に出す気は一応あったようですが、なんかこう、困った時のアドバイザー的な。

 

ちなみに父親は頭のいい人でした、あくまで学力的な意味で、ですが。

小学生のわたしが「メタンハイドレートってなあに?」と質問をしても、その場ですぐに専門用語を噛み砕いて答えてくれる程度には賢かったのです。ちなみに何だったかはもう忘れたし研究も当時より進んでいるだろうので気になった人は各自調べてください。

 

一方わたしはその父の劣化コピーでしかありませんでした。

この文章を読んで下さってる方なら想像がつくでしょうが、頭の出来がよろしくなかったのです、学力的な意味でも。趣味が読書やゲームといった、文字に触れるものばかりだったので国語の成績だけはそこまで悪くなかったのですが、父親の通っていた学校のレベルには少しばかり届きませんでした。

ちなみにわたしの学力は幼稚園がピーク、あとは悪化の一途を辿るのですがそれはまあ別の機会に。ともかく、学区内に居住してさえいれば入学できる義務教育と違い、わたしは「おとうさんと同じ学校」には入れるかどうかビミョーだったのです。塾に通って勉強量を増やし、成績は上がったもののそれでもビミョーだったのです。

 

ここで父親は妥協をしました。専願で私立の学校を受けさせることで、滑ることを避けて同じくらいの偏差値の学校に通わせる事にしたのです。

「家から遠いぜ!通学時間が長い分家にいなくて済むぜ!」とメリットを見つけ了承したのは悪手でした。諸事情で家は広いわりに金がなかった父親は、奨学金を借り入れたのです。そのくらいなら、一段階ランクを下げて学費の安い公立を勧めればよかったのに、お金よりも学歴。

大学は、付属高校に通っていたけれど別の公立へ進学したかったのですが、許されませんでした。学費は働いて返すからと頼み込んでも、まず受験料を出してもらえないことには始まりません。高校生当時はアルバイトも許されず保護者同意書にサインも拒否されたため、自分で賄うなどできるはずもありません。

結局、奨学金に関しては全て自力で返還する未来が待っていた事を考えてもせめて学費は抑えさせて欲しかったぞこのやろう。

 学歴は確かに社会に出る上であったほうが有利ですし、知識の幅も広いに越した事はありません。が、父親の歩いた道の上に敷かれたレールの上を走らされ、選択肢など与えられないのにそんなものを無理してまで取りに行く意義が、当時の私には見出せませんでした。

 

学ばず、きちんと学費を出してもらえるランクの学校に入る実力のなかった自分に責任がないとは思っていませんが、幾度も幾度も「思い通りにならない、言いつけを守らないならばおまえは要らない」と言われて育ちました。

そもそもわたしは、性別が女である以上必要ないのです。同じ理由から、必要とされる為に父親と同じレールを走ることすら不可能です。最初からできるはずがないのです。女に生まれた時点で詰んでいるのです。なんと不条理な。

馬鹿馬鹿しくなって、自分でコケてレールから脱線し、そのまま一目散に逃げてやりました。要らないんでしょう、何度も気に入らなければ出ていけと言ったでしょう、その通りにしたまでです。止めてくれるな。

 

道徳的に、命が芽吹いてしまった以上摘み取るのはよろしくないとされていますし、粗末にするのは良くないと思ってはいるのですが。

要らないなら堕胎するなりきちんと始末して欲しかったし、産んだ以上20歳まで養育するのは法律で定められた義務です。初めての子供で勝手がわからなかったのは認めますがちゃんとせぇ。

レールアウトしたときにわたしの頭のネジは何本か飛んでしまっているので、この少子化の時代、未だわたしは繁殖する気になれません。必要ないから。