人生詰みゲー

なんか知らんけどいつも詰んでる人のあれやそれです

おっきいばあちゃん

ハローようこそごきげんいかが。

そういえば実家の愚痴を吐き出して掃き溜めるブログなのに登場人物紹介もしていなかったですね。そういうわけで今回は曾祖母の紹介です。

あと挨拶の元ネタわかってくれた人は握手してください。

 

それで、初手からなんですが、あんまり交流のなかったひいばあちゃんの話からさせていただこうかと思います。

まず生家には曾祖母と祖母がおり、単に「おばあちゃん」だとどっちの事かわからないので「ちっちゃいばあちゃん」「おっきいばあちゃん」で呼び分けておりました。年の数の大きい小さいなのですが、物理的にはひいばあちゃんの方が若干背は高かったものの、骨と皮しかないような老人独特の筋肉が落ちた痩せ方をしたおっきいばあちゃんより、壮年期でオバチャン特有の脂肪のつき方をしていたちっちゃいばあちゃんの方が大きかったです。

彼女の部屋には仏壇があり、そして小綺麗な物の少ない部屋には硝子細工やらビスクドールが品良く飾られていました。前世はカラスだったのではと言うほどキラキラしたものが好きで、仏飯のお下がりで表面が一部カピカピになった不思議な形のおにぎりが好きなわたしにとっては魅力的な部屋で、小学生の頃などは入り浸って一緒に水戸黄門など時代劇を観たりした記憶があります。

趣味は三味線(蛇皮)と刺繍(展覧会に出せるレベル)、お茶も点てられる、琴も弾ける、今はもう身体に触るけれど日本舞踊もできたらしい、とかなり大人しくしとやかなイメージばかりの人なのですが、中身はとても苛烈な人でした。

 

まず、髪の毛。わたしは最初何の疑いもなく白髪染めだと思っていたのですが、違ったんです。

なんと御年90を越えても、黒い毛の方が多い。こう、男性だったらロマンスグレーと呼びたい毛髪の色。

どんだけストレスフリーに生きてきたのでしょうか。

わたしが直に見聞きしたわけではないのですが、若い頃は家の縁側で「まちださん家のマッカーサー」と異名をとる姑と、掃除をサボる小学生のごとくほうきバトルを繰り広げ、駅前の広場で殴り合いなどもしたそうです。

おっきいばあちゃんは大正生まれです。その人の姑ってどう考えても明治生まれですよね。その世代の人が、しかも女性が、ご近所からマッカーサーなんて渾名付けられるなんてどうかしてると思うのですがそれとガチバトルしてるおっきいばあちゃんもどうかと思います。

我を通して生き続けた結果、わたしが高校生のときに突然「こんな家に居たら殺される!」と貯金を叩いてどこかの老人ホームに引っ越して行きました。風の噂によると100歳越えてもピンシャンしてたそうです。さすがにもう亡くなりましたが。

わたしも「こんな家に居たら死ぬ!」と思って飛び出したクチなので何も言えませんが、誓ってわたしたちはおっきいばあちゃんを蔑ろにしていませんし虐待してもいません。

どうやら介護が手厚くないのが不満だったらしいのですが、あんた90オーバーのくせしてほぼ介護いらない健康体だったじゃないですか。

筋力が衰えすぎて粗相をしてしまったりすることはあれど、コケて頭からガラス戸に突っ込んでも無傷だったじゃないですか。しかも「ワシ何も知らん」とか言ってたじゃないですか。

ちなみにもし本当に何も知らないのであれば、ガラスの音で目覚めたとしても部屋から出てこず知らんふりだと思います。そういう人です。

 

このおっきいばあちゃん、とにかく人に興味がなく、自分が快適に過ごせればそれでいいタイプ。

なのでわたしが横で硝子細工を眺めたり水戸黄門を観ていたりしても、邪魔するわけではないので追い出される事もなく。機嫌が良い時には物欲しげに見つめていた硝子のウサギを下げ渡してくれたりもしました。

しかし興味がなさすぎて、わたしがハイハイしてる赤ん坊の時に部屋に入ってきても愛用のシャツのアイロン掛けをやめず、アツアツのアイロンをわたしの上に落っことしたというエピソードはどうかと思います。

記憶もないし傷跡もないのですが肩を盛大に火傷したらしいです。赤子が部屋に入ってきたら流石に気を付けてくれ。

 

お互いにそんな興味無かったのが幸いし、わたしがおっきいばあちゃんに対して抱いている感情は正でも負でもありません。とんでもねえ人生だったんだろうなぁとは思いますが、今更話す口もありませんから詰んでおりますし。

なのでブログ登場頻度はかなり低いと思われますが、掘り返せばネタに事欠かない人だったはずなので少し勿体無い気もします。